【現代アート論】ゲスト講義、写真家・堀井ヒロツグさん

6月6日(金)に予定している「現代アート論」にて、写真家の堀井ヒロツグさんをお招きしたゲスト講義を開催します。

堀井さんは、ジェンダーやセクシュアリティを主要なテーマとし、制度や規範が振り付ける身体像や家族像に関心を寄せています。個人が内包するアイデンティティの複数性に目を凝らし、その居場所や帰属のあり方を問いかけます。

近年の作品では、性愛や恋愛に依らない親密さや、ケアを基盤としたパートナーシップの共同性に焦点を当て、異なる存在同士が共にあることで立ち現れる関係の価値を見つめながら、とりわけ〈弱さ〉を媒介とした他者との共生に想像力を差し向けていらっしゃいます。

*参考記事:「高嶋慈|堀井ヒロツグ「身体の脱ぎ方」」(artscape)

堀井ヒロツグさんWebサイト

当日の講義では、はっきりと輪郭の持った名前をもつ関係性ばかりではない、さまざまな「親密さ」を写真で捉えてきた堀井さんのこれまでの作品をご紹介いただきました。そして、学生たちにこんな問いかけがあり、大変刺激に満ちたものでした。


「手をつなぐこと以外で、何かその人との親密な関係を写真で伝えるとしたら、どんな写真を撮る?」

学生たちはどんな写真を想像したでしょうか。手をつなぐ、肩を抱き合う、そうしたわかりやすい表現以外に、その人との関係性や距離感などを表すのに、どんな写真表現が可能でしょうか。ぜひ学生たちに取り組んでみてもらいたい課題です。

現在の堀井さんのアーティスト・ステイトメントはこちら

壁の向こうを想像する

かつて、自分とは異なるセクシュアリティーを持つ人と、うまく名付けることのできない関係を生きようとしていたことがある。
友人でも恋人でもないそれは、また同時に、友人でも恋人でもあるような何かだった。

僕と彼は、同じ性的指向を共有する者同士のみがひとつのリレーションシップをつくるという思い込みや、あるいは恋愛の成就や結婚がゴールであるというきまりごとの外側で、親密さを育てていくひとつの居場所をつくることができないかと考えるようになった。

性愛を脱ぎ去った身体同士が、動物のようにじっと触れ合うこと。触れることが意味を持ちすぎるこの社会の中で、僕はそのようなもので回復してみたかった。

性別や、国籍や、学歴といった、いつのまにか身体に価値付けされているラベルや、政治が決定する家族観やジェンダーといった、遠くて抗いにくい視線によって、自分の欲望があらかじめ用意されていると、ずっと感じてきた。けれど、結びつかないとされる意味や存在同士にも響き合いの可能性が残されているとしたら、未だに世界の豊かさは僕の視界の外にあるのかもしれない。

分かたれたものと出会い直したい。慣れ親しんだ思考がつくってしまう透明な壁の向こうと遊びたい。「未来の親密さ」についてあなたと話してみたい。
https://www.hirotsuguhorii.com/

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