Prison Arts Connections にて一緒に活動している 鈴木悠平 さんが出版のために準備していた原稿『ワトソンの憂鬱』(仮)を受け取りました。ある事情で出版がかなわなかったこの本の出版社を現在探しているそうです。
この原稿は、鈴木悠平さんが重度訪問介護の仕事を通して出会った 愼允翼(しん ゆに) さんをシャーロック・ホームズに、介助者である悠平さんはワトソンになぞらえた、二人の謎に満ちた「運命の赤い糸」の関係性が、ワトソン(悠平さん)の視点から書かれたものです。
というと、何の本なのかよくわからなくなってしまいますが、「重度訪問介護とは」、「障害とは」、「介助者とは」といったことを一般化して書いているのではない、あくまで悠平さんと愼さんの関わりにおいて、障害のこと、介助のこと、二人が一緒に書くことについて描かれています。
文学作品のようでもありますが、その途中には、悠平さん自身が実際に直面した「加害者になる」という経験について、その後の社会から大バッシングを受けた経験について、デジタルタトゥーが長く影響している経験についても書かれています。とても切実に。誠実に(というより、言い訳にならないようにしなきゃという切迫観念のようなものを感じます)。
実際、これを読み終わったあと、いったいこれはどういう読者に届くものなのだろうかと、少し戸惑ってしまう感じもします。
同じく介助者をしている人に?
あるいは加害をしてしまった後を生きる人に?
書くことに悩んでいる人に?
きっと誰よりもまず、悠平さん自身のために必要な書く作業だったのだろうと想像します。作家であるならば、このとても私的で個人的に思える経験が、普遍的に伝わる何かにジャンプできることがきっとあるはずなので、なんとなく私が受け取ったことを書いてみます。まとまらないまま書きます。
このワトソンという比喩は、普段の雑談でも聞いていたので、きっと本人もしっくりきている比喩なんだろうなと、ワトソンという役割に対する愛憎こもったものを感じます。なぜなら、ワトソンは、ホームズの傍らにいる人であると同時に、書く人だったからです。
人に会って、いろんな話を聞いて、まだうまく言葉になっていないものを一緒に探す。それを言葉や文章にして、別の誰かへ届ける。悠平さんはずっと、そんなふうに言葉を強みに、仕事にも表現にもしている人です。
言葉の力を頼りに世界とかかわり、物書きとして生きていこうとする。しかし、そんな頼りにしていた「言葉」を通した世界との関わりが、一度大きく根底から崩れます。それが、「加害者になる」という経験です。そして、そのことが明らかになったあとには、自分自身を説明するための言葉さえ、以前と同じようには機能しなくなったのだと思います。
何を言っても言い訳として聞かれる。
反省を語れば、自己弁護と受け取られる。
苦しかったと書けば、被害者ぶるなと言われる。
黙っていれば、逃げていると思われる。
言葉を頼りに生きてきた人にとって、このような状況は相当苦しいことだったのではないかと、読む方も苦しく感じます。言葉によって世界に近づこうとしてきたのに、言葉を発するほど世界が遠ざかっていくような。
それでも、悠平さんは言葉を捨てなかったというか、捨てられないですよね。でも、この経験の前後というか、愼允翼さんとの介助を通した出会いが、あるいは育児の経験が、悠平さんにとって言葉のあり方を変えたのではないかなと思って読みました。
この本は、愼允翼さんが修士論文を書く時に文字入力のサポートなど、「言葉」の介助が中心であったことが書かれていますが、同時にとても「身体」と向き合ったものでもあります。介助を通して、言葉はそもそも身体から切り離せないものだということが、すごくよく伝わります。
例えば、心地良い抱っこを介助者に伝えるとして、「もう少し右に」とか「そこじゃない」とか、そんな小さな言葉が身体と身体のあいだを行き来するのだと想像しますが、「もう少し右」って、別に辞書引いても一般的な正解はない言葉なのです。
その言葉を受け取って、実際に腕を動かす。相手の身体から返ってくる反応を見る。違えば動かし直す。そして、また聞く。という、双方が言葉を理解したかどうかを身体を介して確認する日常なのだろうと思います。
ウィトゲンシュタインが、言葉の意味をその「使用」から考えたことを思い出しますが、言葉は、頭のなかだけにあるものではなく、誰かの身体から発せられて、別の誰かの身体に届くもの。そういう血が通ったものが本来「言葉」ですよね。このSNS炎上社会では、とっくに忘れ去られていると感じます。あるいは、加速主義がすぎるというか、新刊の出版ペースもおそろしく、じっくり言葉を受け取る、吐き出す時間がない社会かもしれません。
介助の時間のなかで、悠平さんは言葉の力を取り戻したというより、言葉との付き合い方というか、ネットメディアとかではない言葉の存在、速度として、言葉のあり方が変わっていったのではないかなと感じました。
まだ正式な出版前なのに、オチまで書いていいのかわからないのですが、悠平さんが愼さんに嫉妬してしまったことが書かれていたことも、とてもおもしろく、ある意味かっこわるく、誠実で、らしさでもあるなと思いました。
悠平さんは、愼さんが原稿を書くことを介助してきましたが、愼さんの方が先に表現者として人を惹きつけていく様子をみて、ワトソンではいられなくなります。というか、ある才能に直面してしまう場面というやつですね。
介助を経験したからといって、無欲な人間になるわけではないし、悠平さんも作家として、野心があります。誰かの傍らにいても、あるいは傍にいるからこそ、自分にも目を向けてほしいと思ってしまいます。
僕はあらゆる競争から降りてきた人なので、あんまりわからないですが、先に本を出すこととか、先に世に出て名前を知られる方が勝ちみたいな、そんなことは思わなくていいんじゃないかなと、つい思ってしまいます。
僕は長い人生で、まあ1〜2冊くらい本出せたらいいかな、Amazonで星ひとつでも、100年後の誰か一人に届けばそれでいいかな、みたいな感じなので。
そうはいっても、誰かが先へ行けば、自分が遅れたように感じる、これは(ライフステージが変わらない)クィアがよく感じる感覚なので、わからないことではありません。
ジャック・ハルバスタムは『失敗のクィア・アート』のなかで、資本主義や異性愛規範に結びついた「成功」に対して、クィアは歴史的にいつも「失敗」を経験しやすい(結婚しないし、子ども持たないし、多数派の生き方ではなくなるし)けれど、
「いったいその成功って誰が決めたの?」
「その成功、本当に欲しいの?」
ということを問います。
人生には、いつのまにか標準的な時計が置かれます。
何歳で仕事を得るのか。いつ家庭をつくるのか。いつ成功するのか。
作家にもきっとあります。
若いうちに才能を見つけられる。作品や本を出す。名前を知られる。そして成功した作家になる。知人の作家のなかにも、「〜才までに手ごたえつかめなかったらやめようかな」なんてセリフも聞くことがあります。きっぱりやめるのではなく、細々でも続ければいいのに、またやりたくなった時にやればいいじゃんと、いつも思うのですが。
ハルバスタムのいうクィアな時間は、人生には、標準的な時計から外れてしまったからこそ生まれる時間があると考えます。
介助のなかで何かを待っている時間。
何も起こらなかった時間。
公的な場所から退けられた時間。
愼さんを羨ましいと思った時間。
愼さんと別れた時間。
それでも文章を書こうとしている時間。
それらを「出遅れた時間」と思ったり、取り戻そうとしたりする必要はないはずです。
愼さんには愼さんの時間があるし、
悠平さんには悠平さんの時間がある。
ワトソンには、ワトソンの時間があります。
そして、それはクィアな時間かもしれません。
クィアたちは、標準的な時計からは外れた時間を、あらゆるものが異性愛(というかファミリー)中心に設計された社会のなかで、自分たちの場所をつくって生き延びています。
人は、誰かを傷つけてしまった瞬間に時間を止めることはできません。
翌朝もふつうに起きるし、働くし、誰かに出会うし、笑うし、自分自身も傷つくし。そして嫉妬もします。焦りもします。
加害してしまった人がその後を生きることと、加害をなかったことにすることは同じではありません。たぶん悠平さんが、というかキャンセルカルチャーが溢れる社会がいま直面しているのは、その難しさなのだと思います。言葉を差し出そうとすれば、過去が一緒についてくる。それでも書かないと生きられない人がいます。
悠平さんがPrison Arts Connectionsで「刑務所アート展」にかかわっていることも、私には少し違って見えてくるものがあります。言葉がたいしたことをできないと知ってしまったあとにも、それでも何かを誰かへ手渡すことを諦めないことです。それは、介助のなかでやっていたこととも、どこか似ているのではないかと想像します。
悠平さんは愼さんのワトソンだったと書いています。でも、愼さんと別れたあとも、ワトソンであること、傍で言葉をつくっていくことをやめてはいません。それは刑務所アート展の活動がそうだからです。刑務所の中から届いた作品を、誰かへ届けて、そして言葉をまた返していく。
それは、「あなたは反省してますね」とか「しっかり更生してますね」などと認定するようなことでは決してなく、ただ受け取り、何かを感じとり、そのことを返す、それだけです。
そして他者を世界へ送り出すことと、自分自身が世界へ現れたいと願うこととのあいだには、たぶんずっと緊張があります。それは悠平さんだけの問題ではありません。
刑務所にいる人の作品を展示し、それについて研究し、文章を書いている私にも、そのまま返ってきます。
私はなぜこの人について書くのか。
この人の作品によって、私は何を得ているのか。
私は他者の表現を支えているのか。
それとも、他者を通して自分を表現しているのか。
私も、その問いから自由ではありません。
そう考えると、愼さんにとって悠平さんがワトソンだったのなら、いま悠平さんについて書いている私も、少しだけワトソンなのかもしれません。あるいは誰もが、誰かのワトソンになることが、普遍的なことかもしれません。
私も悠平さんを説明し尽くすことはできないですが、ただ、傍らから見えたことを書くことはできます。言葉を信じることと、言葉を疑うことは、たぶん矛盾しないというか、矛盾したまま抱えざるを得ません。言葉には、人を傷つけるほどの力があるのと同時に、何一つ取り返すことのできないほどの無力さもあります。
でも言葉は、頭のなかだけにあるものではなく、
誰かの身体から発せられ、誰かの身体に届くもの。身体とつながったものです。
届かなければ、待つし、違っていたら、少し動き直すし、そして、また差し出してみたりもする。
書くこともそういうことなのでしょうか。私は書くことがあまり好きではないというか、得意ではない気がします。だからこそ、書くことを励ましてくれるようなこういう原稿に救われます。すぐには言葉にならなかったものが、長い時間を経て、ようやく言葉になる日がくることを信じられそうで。いろいろな時間を通ってきた悠平さんが、それでも書かずにはいられなくて書いたこの原稿にとても価値を感じます。それは、決して加害してしまった経験をのりこえたような、社会復帰のきれいな物語ではありません。むしろ、不恰好なまでの言葉への生還という感じがします。
