【レポート】5.5時間クロストーク「なぜ私は作業場を続けたいのか?」

ちょちょまうヴァナキュラー、作業場について

大阪・西成の旧今宮小学校の跡地にて、「作業場」と呼ばれる活動、場がひらかれています。あらかじめ予定されている作業場の日に出向くと、木工や造園や、おとあつめなどなど、何かそこで「作業」が行われており、誰でも作業に参加でき、特に作業をしなくてものんびりそこで過ごすこともできる場です。

西成区のホームページより

そして、年に一度「ちょちょまうヴァナキュラー」というイベント名を冠して、アーティストのきむらとしろうじんじんによる《野点》ほか、普段から作業場とご縁のあるさまざまな人々が、思い思いの屋台や場をひらく、お祭りのようなイベントも開催されています。

ちょちょまうヴァナキュラーとは

「ちょちょまう」=うっかり何かをしでかしてしまう様子。「ヴァナキュラー」=風土。

その土地で新たに何かを実験したり、挑戦してみようとしたときに起こる大小様々な事象と、そこから生まれる人や場所との関係性や関わりなどの蓄積がその土地の風土を形成していくものと考え名付けられました。

西成区のまちをフィールドとして、「アート」を媒介に生まれる新たな出会いやできごと、関係性を通じて持続可能な地域共生社会を実現すること、またこれらの活動全体を通して、地域の未来を担っていく次世代の創造性人材育成を目的として実施しているプロジェクトです。

西成区ホームページより

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クロストーク「わたしはなぜ『作業場』をつづけたいのか?」

2026年3月20日に、西成区の公民館にてこの作業場をめぐるトークイベントがひらかれました。非常に重要な議論をしていると思われたので、風間の視点での記録レポートをここに残しておこうと思います。なお、録音をしていたわけではないため、発言者の言葉は風間の解釈を含んでいます。間違っている場合もありますので、その点をご理解ください。

まずは、この作業場をひらくアーティストのきむらとしろうじんじんさんから、作業場でやっているひとつの作業である陶芸について次のような問いかけがありました。

「作業場でやっている陶芸は、”土を焼くことを楽しむ仲間が集まっている場” と表現するのが正しく、陶芸教室をしているわけではない。公的な事業の枠組みで仲間内の内輪なことをしてるのかと言われかねないけれど、しかし、消費者が集まることしか”にぎわい”と呼べないのだろうか」

この問いかけは非常に鋭いと感じます。各所でまちの開発や駅周辺の再整備が進む際、行政が使う言葉のなかに「にぎわい創出」というものがあります。しかし、この「にぎわい」とはなんだろうか?ということです。

作業場で提供されているのは、何か具体的な作業のスキルを学ぶ教室のようなものではありません。もちろん、やっていくうちに何かのスキルは身についているかもしれませんが、少なくともその関係性は、いわゆる講座や教室のような先生と受講生というものとは異なります。

作業場で木匠の作業をしている人は次のように語りました。

「大学で建築を学んでいた結果、すごく精度の高いものをつくりあげなきゃ、完成させなきゃ、ということが身に染み付いてしまっていることが、作業場にきてわかった。作業場でも、もちろん完成度の高いものを目指してはいるけど、その過程でけっこういろいろ失敗する。でも、失敗したらまた解体して作り直す、そういう場をもつことができている」

大学の学びの場とも違う、しかし、確実に何かを実践的に、身体的に学ぶことができる環境が作業場にはあるというのです。

つづく美術家の黒川岳さんは、今後、西成で活動する予定について、今考えているアイデアについて話しました。黒川さんは、これまでの作品制作において大きな石を使うことがありました。石に穴を掘り、その穴に頭をつっこんで聞こえる音に耳を傾ける、そんな作品をつくっています。

黒川さん
「石の良いところは、硬くて、重くて、(制作が)全然進まないところ。ノミで石に穴を掘るだけなんですけど、このご時世にこんなに進まないことがあるのかーってくらい進まない。その結果、最近では石の彫刻とかする人が減ってきている。
今回は西成に7トンの石をもってこようと思っているが、そのためには地盤の調査や、トラックが通れる道はあるかどうかの確認など、いろいろやらなきゃいけないことが発生してきている。これをめんどくさがらず、テンションがあがってくれている業者さんや西成の人たちがおもしろい。業者さんたちでさえ、かつては扱っていた大きさや重さの石を、最近では扱わなくなり、せっかくある技術や知恵を使う場がなくてムズムズしているようにみえる」

この大変に時間のかかる「作業」を生み出していくことは、このあとにつづく美術家の小山田徹さんによる「100年の森」構想にもつながっています。

いかに「急がない」場をつくるか、ということです。

小山田さん
「僕はダムタイプでAIDSについての活動をしている時は、本当に社会を変えられると思ってやっていた。変えられると思ってやったけど、どうにもならないこともあった敗北感のようなものが、現在の共有空間をつくる活動に通じている。

僕は活動を始めた当初から仮想敵というのがある。それは、資本主義。最近では新自由主義。効率化や数値目標を立て、それを時間内に達成すること。

実は大学の学長をやっていると、京都駅周辺の開発について、いろんな業者が提案を持ってくる。みんな言うのが「一等地」という言葉。でもこれは、経済的一等地なだけで、文化的一等地とかではない。経済的な開発でうまれたあらゆる場で、人々は消費者にさせられている。さまざまなルールにおかれた利用者にさせられている。そんな環境で、はたして自分たちの場所や、そこで生まれる関係性に愛が持てるだろうか。

そこで、「100年の森構想」というのを打ち立ててみたら、いろんな大学の内外で勉強会が生まれ始めている。100年あったら急がない。来年できるものじゃないから。ほんとは1000年の森と言いたいけれど。私たちは良き祖先になれるのか、これは人間にこそ求められる課題ではないか。」

ひたすらに急がされる社会で、失いつつある感覚を呼び起こしてくださるのが、おとあつめの会のみなさんでした。過去に録音したいろんな音源を紹介して、「これは何の音でしょうー?」と、クイズ形式で盛り上がりました。なんとコアでマニアックな場だろうと。作業場で収録した音から、山ほどエピソードが出てきました。これが場の豊かさなんだろうなぁと、とても勉強になりました。

テック右派たちは、新しいテクノロジーでSF的な未来を示すなかで、左派は未来を描けないでいる。これはけっこう重い課題だと思っているけれど、しかし、この西成の作業場にこそ、100年の森にこそ未来がみえてしまう。そんな時間でした。

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